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No.17 西木戸神社

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西木戸神社(にしきどじんじゃ)
大館市比内町八木橋字五輪台127。

 奥州平泉藤原泰衡の夫人を祭神とする。地元の伝承によると、文治5年(1189)河田次郎を頼って逃れてきた泰衡の後を追い、五輪台にたどり着いた夫人はすでに泰衡が死んでいた(9月3日)ことを知り、嘆き悲しんで連れてきた3人の子を道連れに自害した。下僕の由兵衛は遺骸を埋め、法師となって自刃したという。里人はこれを哀れみ、ここに五輪の塔を建てて祀ったという(『秋田風土記』(文化12年<1815>など)。
 後世の記録では、3人は時衡、秀安、泰高(万寿)である。時衡は泰衡とともに討たれたといわれるが、鎌倉幕府の『吾妻鏡』の文治5年11月8日条に泰衡の幼息(幼い子)の行方を追っている記録があるので、2人は生き延びていたようである。秀安の子孫は後に安倍氏を称し、泰高は酒田に逃れて津軽の外ヶ浜に行き、後に紀州熊野新宮領に定住したという。
 五輪台の地名は五輪の塔に由来するという。神社名の西木戸は西木戸太郎国衡(?~1189)に由来すると見られている。その理由として国衡の領地がこの地にあったからではないかという説があるが確証はない。泰衡を祀る錦神社の錦とは一字違いであり、これとの関係を考えてみる必要がある。西木戸は錦戸と表記されることもあり、米沢市にある錦戸薬師堂は国衡と関係があるといわれている。
 国衡は平泉館の西の木戸に宅を構えていたので、西木戸太郎と称したという。国衡は藤原秀衡の長男であるが妾腹の子。源頼朝との奥州合戦では平泉軍の総大将として阿津賀志山(あつかしやま 福島県伊達郡国見町辺り)で戦ったが敗れ、敗走中に討たれた。祭典は旧暦の9月7日。


Nishikido Shrine
  
The enshrined deity is Fujiwarano Yasuhira’s wife. In 1189, she chased after Yasuhira, who was fleeing from Yoritomo to Hokkaido. When she arrived at Gorindai, she sensed he had already been killed. Bereved, she committed suicide with her three children. It is said that Yoshibe, a servant, buried her body. The villagers were took pity on her fate and built a tower in her memory in Gorin. It is said that the name Gorindai comes from that tower (“dai” in Japanese). A festival is hel


西木户神社
  
神社供奉着奥州平泉藤原泰衡的夫人。据当地传言,1189年,为了前往虾夷地,泰衡借助河田次郎而得以逃脱,夫人一路追随,最终到达五轮台。得知泰衡已死的消息后,悲叹不已,便与三个孩子一起自杀。仆人由兵卫掩埋了夫人的遗体后,成为法师吊慰亡灵,不久亦挥刃自杀。当地的人们对此深表同情,便在此为夫人建造了五轮塔进行供奉。据说五轮台这一地名即由五轮之塔而来。祭典于每年的旧历9月7日举行。


西木戶神社
  
神社供奉著奧州平泉藤原泰衡的夫人。據當地傳言,1189年,為了前往蝦夷地,泰衡借助河田次郎而得以逃脫,夫人一路追隨,最終到達五輪台。得知泰衡已死的消息後,悲嘆不已,便與三個孩子一起自殺。僕人由兵衛掩埋了夫人的遺體後,成為法師吊慰亡靈,不久亦揮刃自殺。當地的人們對此深表同情,便在此為夫人建造了五輪塔進行供奉。據說五輪台這一地名即由五輪之塔而來。祭典於每年的舊曆9月7日舉行。


ศาลเจ้านิชิคิโด
  
เทพสักการะเป็นภรรยาของฟูจิวาระโนะยาสึฮิระของโอชูฮิไรซูมิ จากการเล่าขานสืบต่อกันมาในท้องถิ่น ภรรยาของยาสึฮิระที่ได้ฝ่าฟันจนมาถึงโกะรินได หลังจากที่ไล่ตามยาสึฮิระซึ่งได้ไว้วางใจคาวาดะโนะ จิโร่เพื่อหลบหนีไปยังเอโซะ เมื่อเธอทราบข่าวว่ายาสึฮิระเสียชีวิตแล้ว ก็ร้องไห้คร่ำครวญ พาลูกทั้ง 3 คนไปฆ่าตัวตาย พวกข้ารับใช้ได้ฝังศพภรรยาของยาสึฮิระ เชิญพระสงฆ์มาทำการส่งวิญญาณและกล่าวกันว่าเธอใช้ดาบฆ่าตัวตาย ผู้คนในหมู่บ้านรู้สึกเห็นอกเห็นใจจึงได้สร้างเจดีย์ 5 ต้นขึ้นที่นี่เพื่อสักการะ กล่าวกันว่าชื่อสถานที่โกะรินไดมีที่มาจากเจดีย์ 5 ต้น งานฉลองจะจัดขึ้นในวันที่ 7 กันยายนตามปฏิทินจันทรคติ


니시키도 신사

오슈 히라이즈미 후지와라노 야스히라의 부인을 제신으로 하고 있습니다. 그 지방의 전해온 이야기에 의하면, 1189년, 에조지를 가기위해, 카와다노 지로를 의지해 도망온 야스히라의 뒤를 쫓아, 오륜대에 도착한 부인은 이미 야스히라가 죽은 것은 알고, 비탄에 빠져 3명의 자녀들과 함께 동반 자살을 하였습니다. 하인 효에는 부인의 유골을 묻어 주고, 법사가 되어 영을 애도하였으나, 얼마 지나지 안아 자인하였다고 합니다. 마을 사람들은 이를 불쌍히 여겨, 거기에 부인을 위해 오륜의 탑을 세워 모시었습니다. 오륜대라는 지명은 오륜의 탑에서 유래되었다고 합니다. 제전은 음력 9월7일에 행하여 지고 있습니다.