聖堂1棟 県指定文化財(建造物) 昭和41年3月22日指定。
聖像画19点 市指定文化財(絵画)平成3年9月3日指定。
所在地 大館市曲田字曲田80。 明治25年(1892)に曲田地区の豪農であった畠山市之助によって、東京・神田にあるニコライ堂を模して「曲田福音聖堂」として建てられた、日本最古の木造ビザンチン様式の教会堂である。
本来煉瓦造りまたは石造りだが、北鹿ハリストス正教会では秋田杉が使われている。建物内の天井部分はドーム型になっており、これは秋田杉の加工という面において、現在の技術でも大変難しいといわれている。また外から見ても分かるように建物自体が十字架の形をしている。
内部を見ると、聖障と聖所正面ドアの取手金具座金に「CORBIN US」の 陽刻銘があり、アメリカ製であることが認められる。シャンデリアはロシア製で、日露戦争当時松山の俘虜収容所内の聖堂にあったものである。
総体的に、明治時代の木造の擬洋風建築として文化的な価値が高いと同時に、このような東北地方の農村にまで分布したハリストス正教会の会堂遺構として地方的意義のあるものである。
教会堂には、正規の洋画教育を受けた、日本最初の女流洋画家山下りんの聖像画(イコン)が飾られている。34~35歳頃の作品であるとされ、教会内の19 点のうち18 点が彼女の作品といわれている。山下りんの描くイコンは、近代日本の黎明期に於ける洋画法を用いた例としてルネサンス初期のイタリア画家の手法が感じられ、美しい色あいと優しくやわらかい表現が大変高い評価を受けている。
【山下りんのイコン】
この会堂内部正面にはハリストス(キリスト)やマリア、天使、福音記者などの油彩のイコンが整然と設置されており、美術的にも貴重な存在である。イコンとはギリシャ語で「像」の意味であり、「神の国を伝えるイメージ」である。曲田会堂のイコンはこの会堂に合わせてイリナ山下りんが描いたものである。
山下りん(洗礼名 イリナ)は、安政4年(1857)上州笠間(現茨城県笠間市)で生まれた。 明治10年(1877)、20歳の時創立まもない上野の工部美術学校に学び、正規の洋画教育を受けた日本で最初の女流洋画家として注目されている。絵画科の教授フォンタネージュ(イタリア王立トリノ美術学校教授)から指導を受け、才能を伸ばしていく。
明治13年12月~16年4月の2年間、ニコライに薦められて単身ペテルスブルグ(旧レニングラード)の女子修道院に留学。イコンを学びながら、エルミタージュ美術館にも通い、イタリア・ルネッサンスの宗教絵画も学ぶ。帰国後、東京神田駿河台の女子神学校の宿舎に住みながら日本正教会のために多くのイコンを手がけるが、大正7年に故郷の笠間に帰り、昭和14年(1939)1月26日82年の生涯を閉じる。彼女の作品はイコンという特異な分野での作品であるが、ルネッサンス初期のイタリア画家の手法も感じられ、女性らしい柔らかい感情のこもった表現は美術家の中でも高く評価されている。
曲田会堂のイコンは、明治24年~25年の製作で、彼女が35歳の時であり、ロシア留学から帰国して8年後のことであった。同時期の作品として明治24年ロシア皇太子ニコライが訪日した時に献上された「主の復活」がある(現エルミタージュ美術館蔵)。
北鹿ハリストス正教会
https://www.city.odate.lg.jp/museum/information/relation/khristos