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【会認定】4⃣ 安藤昌益の墓(温泉寺)

詳細説明文
【会認定】安藤昌益の墓(温泉寺)
【会認定】安藤(あんどう)昌益(しょうえき)の墓(はか)(温(おん)泉(せん)寺(じ))
安藤昌益は江戸時代中期の思想家で、封建制を否定した最初の人物として有名。その経歴の全体はまだ明らかになっていないが、元禄16年(1703)年に生まれて、延享元年(1744)から同3年(1746)までの間、八戸で町医者を開業し宝暦12年(1762)二井田で死去したことは確実である。昌益の先祖は延宝2年(1674)二井田村肝煎(今の尊重)を勤め、昌益の子孫も当地に現住している。向かって右の将棋駒型の墓には上段石に「堅勝道因士」と古い戒名と思われるものが刻まれ、左の角柱型の墓には「昌安久益信士」という戒名が刻まれている。
出典:大館市郷土博物館
【会認定】安藤昌益の墓(温泉寺)

安藤昌益の墓(温泉寺)
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