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国境矢立杉

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国境矢立杉
(くにざかいやたてすぎ)

所在地 大館市矢立峠地内。

 江戸時代の初め秋田と津軽は国境を巡って対立した。境目を秋田側は峠を下った所にある矢立杉であると主張したのに対し、津軽側は矢立杉から上った所の峠であると主張した。このとき、秋田側は比内の領民が古来より矢立杉を境目としていたことを根拠にあげている。両藩の境目交渉は慶長年中(慶長8年か)に続いて、元和4年(1618)にも行われたが合意はならず、幕府の調停で同年中に矢立杉を境目と定めている。
 しかし、その後も津軽側は境目を峠であるとし、元禄元年(1688)には矢立杉を津軽領に取り込んだ絵図を作成している。津軽藩の参勤交代はこれより少し前の寛文年間(1661~72)に大間越から碇ヶ関経由に変更していた。これに対し、秋田藩は元禄以降矢立杉からの道普請を秋田側だけで行うなど、国境の変更を許さない態度をとった。 

 矢立杉は元禄のころ風折れで根株だけとなり、これを杭で囲った。宝暦6年(1756)には根株の真中に新しい苗木を植えた。この地を旅した菅江真澄、高山彦九郎、伊能忠敬、扇遊亭扇橋、吉田松陰はこの2代目矢立杉に注目し記録している。この矢立杉は太平洋戦争のころ伐採されてしまいその株だけが残った。現在切株の後に3代目の杉が育てられている。
 明治になって、このけわしい矢立峠の羽州街道は明治新道に変わり、さらに現在の国道ルートに変わった。矢立杉の名は『国典類抄』に「いにしえ津軽と比内が弓矢(戦い)の時、双方攻めこむにあたり、いくさ神へ矢を射立てたので矢立杉という」と伝えられている。双方の境目交渉の立会の場でもこのことが話されている。また、矢立杉というものは境界に立つものという考えは特に秋田側には強くあったようだ。このような矢立杉の言い伝えは他の地方でも見られる。

 江戸時代の『久保田ヨリ矢立杉境迄行程』(大館市立中央図書館所蔵)は久保田(秋田)から矢立杉までの行程を絵図にしたものである。絵図に「秋田領津軽領境矢立杉」と矢立峠が描かれている。

The Yatate Pass Cedar Tree

At the beginning of the Edo period, the Akita Clan insisted that the border was the Yatate cedar tree, while the Tsugaru Clan insisted that it passed across the Yatate cedar tree. Actually, the Akita Clan’s claim was right, but they negotiated it many times. The Yatate cedar tree was knocked down by the wind once, so a sapling was planted in 1756. It was this second Yatate cedar tree that Ino Tadataka and Matsuo Basho saw. But it was cut down around World War Ⅱ and the third Yatate cedar tree is there now. The name came from two stories: one story is that during a skirmish between the Tsugaru and Hinai clans, an arrow (“ya” in Japanese) was set here, and the other story is that this cedar tree stands on the border.

国境矢立杉
 
江户时代初期,秋田方与津轻方就国境问题持对立的意见,秋田方主张矢立杉为国境,而津轻方主张以位于矢立杉上部的山岭为国境。虽然最终秋田方的主张得到了认可,但关于国境问题,依然进行了多次交涉。元禄时期,矢立杉被风吹折,1756年,重新种植了苗木。伊能忠敬、吉田松阴等人所见到的矢立杉为第2代矢立杉。但是,太平洋战争时期,第2代矢立杉被砍伐,现正在其残端旧址上,培育第3代矢立杉。
國境矢立杉
 
江戶時代初期,秋田方與津輕方就國境問題持對立的意見,秋田方主張矢立杉為國境,而津輕方主張以位於矢立杉上部的山嶺為國境。雖然最終秋田方的主張得到了認可,但關於國境問題,依然進行了多次交涉。元祿時期,矢立杉被風吹折,1756年,重新種植了苗木。伊能忠敬、吉田松陰等人所見到的矢立杉為第2代矢立杉。但是,太平洋戰爭時期,第2代矢立杉被砍伐,現正在其殘端舊址上,培育第3代矢立杉。
ต้นสน yatate เขตชายแดน
 
เขตชายแดนฝั่งอาคิตะในยุคต้นเอโดะคือต้นสน yatate ฝั่งทสึงารุคัดค้านว่าเป็นช่องเขาจุดที่ต้นสน yatateโผล่ขึ้นมา ถึงแม้จะยอมรับสิ่งที่ทางอาคิตะยืนยันแต่ก็ยังมีการเจรจาเรื่องเส้นแบ่งเขตหลายต่อหลายครั้ง ต้นสน yatate ถูกลมพัดโค่นลงในยุคเก็นโรคุ ปี 1756 จึงได้ปลูกต้นอ่อนขึ้นมาใหม่ พวกอิโนะ ทาดาทากะและโยชิดะ โชอินได้มาเห็นคือต้นสน yatate รุ่นที่ 2 ทว่าในสมัยสงครามโลกครั้งที่ 2 ได้ถูกตัดโค่นทิ้ง ปัจจุบันได้ทำการปลูกใหม่บนจุดที่ทำการโค่นซึ่งถือว่าเป็นรุ่นที่ 3
지방 간의 경계를 표시한 야타테 삼나무

에도시대에, 지방 간의 경계를, 아키타쪽은 야타테 삼나무으로, 쯔가루쪽은 야타테 삼나무보다 위쪽으로 주장하며 대립이 있었습니다. 아키타쪽의 주장이 인정되었지만, 경계에 관한 교섭은 여러번 계속 되었습니다. 야타테 삼나무는 겐로쿠 시대에 바람에 부러져, 1756년에 새로운 묘목이 심어졌습니다. 이노 타다타카, 요시다 쇼인이 본 것은 바로 이 2세대의 야타테 삼나무입니다. 그러나, 태평양 전쟁 때 벌목이 되어, 지금은 그루터키 터에 3세대의 야타테 삼나무이 길러지고 있습니다.

国境矢立杉

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