所在地 大館市矢立峠地内。
イザベラ・バード[Isabella Lucy Bird](1831~1904)はイギリスの女性旅行家、紀行作家。明治時代の東北地方や北海道、関西を旅行し『日本奥地紀行』を書いた。また、4度にわたり朝鮮を訪ね『朝鮮紀行』を書いたことで知られる。
明治11年(1878)6月10日に東京を出発し、日光・会津・新潟・山形・新庄・横手・久保田・大館・弘前・青森をへて函館に渡り、室蘭から白老・平取のアイヌ集落を訪れた。帰路は函館から船に乗り9月17日に横浜に着いて3ヶ月
にわたる大旅行を終えた。矢立峠は7月30日に通過した。
バードはこの旅に、伊藤鶴吉〈1857~1913〉という青年を通訳兼従者として同行させている。道中苦労は多かったが、新鮮な目で日本の土地と庶民に関心を寄せ、絵を交えて表現した。「全行程をとおして安全な旅ができ、女性が一人旅をしても安全な国は他にない」と感想を述べている。
矢立峠については、『日本奥地紀行』の中で次のように書いている。
「・・・杉の深い森に覆われた暗くて高い山の嶺が私達の前に立ちふさがってくると、私達は新しい道路に出た。馬車も通れる広い道路で、立派な橋を渡って二つの峡谷を横切ると、素晴らしい森の奥に入って行く。ゆるやかな勾配の長いジグザグ道を通って矢立峠に出る。・・・私は他の人々を残して、一人で峠の頂上まで歩いて行き反対側に下りた。そこは鮮やかな桃色と緑色の岩石に発破を掛けて造った道路で水が滴り落ちて光り輝いて見えた。私は日本で見たどの峠よりもこの峠を褒め称えたい。・・・」
明治9年近代国家づくりを目指し福島、山形で道路整備に手腕をふるった大久保利通が矢立峠を視察し「道路の険難言語の及ぶ所にあらず」と記した。その後碇ヶ関で秋田青森両県令のもと実務担当者が工事の打ち合わせを行い国に上申、翌春雪解け草々に改修が始まった。工事は1年という短期間だった。この道が明治新道(旧羽州街道)である。それまでの急峻な羽州街道(古羽州街道)よりなだらかで、イザベラ・バードはこの道を通った。
明治14年9月に明治天皇巡幸があり、この道を通って秋田県入りした。道筋に明治天皇の野点(のだて)の跡がある。明治22年には乗合馬車が通った。
Isabella Bard ( 1831~1904 ) was an English woman who traveled and wrote travel journals. She traveled in the Tohoku region, Hokkaido, and the Kansai region during the Meiji period and wrote “Unbeaten Tracks in Japan”. In June 1878, departing Tokyo, she went to Hakodate through the Tohoku region. She had a hard time traveling. She was interested in the region and people, and she wrote what she felt with her fresh eyes. She crossed the Yatate pass on July 30th. She went along the recently opened gradual Meiji New Road. She admired the beauty of the scenery in the pass, and praised it as more wonderful than any other pass in Japan.
伊莎贝拉·伯德(1831~1904)为英国的女旅行家、游记作家。她于明治时代游历日本的东北地区以及北海道、关西,著有《日本奥地纪行》。1878年6月,她从东京出发,途径东北地区到达函馆。虽然旅途艰辛,她依然关心日本的土地与民众,在她的著作中,以独特的视角记录下了自己的感受。7月30日,她通过了矢立山岭。在穿越新开拓的平坦之路明治新道后,来到森奥的矢立山岭,并为山岭的美景所吸引,称赞说此处美景胜过她在日本看到的任何一座山岭。
伊莎貝拉·伯德(1831~1904)為英國的女旅行家、遊記作家。她於明治時代遊曆日本的東北地區以及北海道、關西,著有《日本奧地紀行》。 1878年6月,她從東京出發,途徑東北地區到達函館。雖然旅途艱辛,她依然關心日本的土地與民眾,在她的著作中,以獨特的視角記錄下了自己的感受。 7月30日,她通過了矢立山嶺。在穿越新開拓的平坦之路明治新道後,來到森奧的矢立山嶺,並為山嶺的美景所吸引,稱讚說此處美景勝過她在日本看到的任何一座山嶺。
อิซาเบลลา・เบิร์ด(1831~1904) นักสำรวจและนักประพันธ์หญิงชาวอังกฤษ เธอได้เดินทางมายังภูมิภาคโทโฮคุ ฮอกไกโดและคันไซในสมัยเมจิ จากนั้นจึงได้เขียนหนังสือ “Unbeaten Tracks in Japan” เดือนมิถุนายน ปี 1878 ออกเดินทางจากกรุงโตเกียว ผ่านภูมิภาคโทโฮคุข้ามมายังฮาโกดาเตะ ระหว่างทางที่พบกับความเหนื่อยยากก็รู้สึกสนใจในเรื่องแผ่นดินและชาวบ้านของญี่ปุ่นจึงได้เขียนบันทึกลงไปจากสิ่งที่สัมผัสเห็นด้วยตาอย่างแปลกใหม่ วันที่ 30 กรกฎาคม เดินทางผ่านช่องเขายาทาเทะ เธอเดินทางผ่านเส้นทางใหม่ยุคเมจิอับราบเรียบที่เพิ่งเปิดบริการออกมายังช่องเขายาทาเตะในป่าลึก ทั้งกล่าวชื่นชมความงดงามเกี่ยวกับทิวทัศน์ของช่องเขาแห่งนี้ว่ายอดเยี่ยมยิ่งกว่าช่องเขาที่อื่นใด
이사베라 버드 (1831 – 1904)는 영국 여성여행가이며 기행작가입니다. 메이지 시대에 동북지방, 북해도, 관서지방을 여행하며 『일본오지기행』 를 썼습니다. 1878년 6월 동경을 출발하였으며, 동북지방을 경유하여 하코다테로 건너 갔습니다. 많은 고생을 하면서도 일본의 토지와 서민에 관심을 가지며, 신선한 눈으로 느낀 것들을 기록하였습니다. 야타테 고개는 7월30일에 통과하였습니다. 새로 개통되어 완만한 메이지 신도를 지나, 숲속 안쪽에 있는 야타테 고개에 이르렀습니다. 고개의 광경은 눈을 빼아낄 만큼 아름다우며, 일본에서 본 어느 고개보다 훌륭하다고 칭찬을 아끼지 않았습니다.