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No.21 白沢御膳水

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白沢(しらさわ)御膳(ごぜん)水(すい)
 大館市北部の白沢は旧羽州街道の宿場でした。1881年9月11日、明治天皇が東北巡幸で矢立峠を越え初めて秋田県入りした際に、お昼行在所で昼食の料理や飲み水として献上されたことからこの名前が付けられました。湧水口には「御巡幸御前水」と刻まれています。弘前市と大鰐町にも、陛下にお茶を点てた御茶水という泉があり、この三清水は数日ちがいで利用されたと思われます。水温は年間を通して12℃ほど。昔から旅人の休憩や住民の生活に利用され、桂や杉、栃などの樹木に囲まれた庭園風の一帯は真夏でも別天地の風情が漂っています。

Shirasawa Royal Spring
 Shirasawa, in the northern part of Odate city, was a stop on the former Ushu Kaido road. The name of the spring comes from when Emperor Meiji crossed the Yatate Pass and first arrived in Akita on September 11, 1881 during his tour of the Tohoku region. He stopped here at a temporary building to eat lunch, and was presented with water from the spring to drink. “Royal Waters of the Imperial Tour” is engraved in stone where the water flows out. There are also royal springs in Hirosaki and Owani where it is said that tea was made for the emperor, and it is thought that the emperor used these 3 clear waters over the course of a few days. The waters are 12 °C (53 °F) year-round. They have been used by travelers taking a rest and by locals for their daily water needs since ancient times, and the garden-like area surrounded by katsura, cedar, horse chestnut, and other trees offers a glimpse into a different world, even in summer.

白沢御膳水
大馆市北部的白沢是旧羽州街道的驿站。
1881年9月11日,在明治天皇巡幸东北越过矢立峠首次进入秋田县时,因其白天作为行在所供奉了午餐料理及饮用水而得名。出水口处刻有“御巡幸御前水”。弘前市和大鳄町也有泉水是曾经给陛下奉茶的御茶水,陛下应该是在几天后用过这里的三清水。水温全年保持在12℃左右。从古至今,这一带供游客休息和居民生活,拥有由桂树和杉木、栃木等绿树环绕而成的庭园风格,即便是在盛夏,也具有别样的风情。

白沢禦膳水
大館市北部的白沢是舊羽州街道的驛站。
1881年9月11日,在明治天皇巡幸東北越過矢立峠首次進入秋田縣時,因其白天作為行在所供奉了午餐料理及飲用水而得名。出水口處刻有「禦巡幸御前水」。弘前市和大鱷町也有泉水是曾經給陛下奉茶的御茶水,陛下應該是在幾天後用過這裡的三清水。水溫全年保持在12℃左右。從古至今,這一帶供遊客休息和居民生活,擁有由桂樹和杉木、栃木等綠樹環繞而成的庭園風格,即便是在盛夏,也具有別樣的風情。

แหล่งน้ำซิระซะวะโกะเซ็นซุย
ซิระซะวะแห่งเมืองโอดะเทะทางทิศเหนือเป็นโรงแรมที่พักบนถนนหลวงเก่าอุซู ในวันที่ 11 กันยายน 1881 เมื่อครั้งจักรพรรดิ์เมจิได้เยี่ยมเยือนพสกนิกรทางตะวันออกเฉียงเหนือของญี่ปุ่นซึ่งได้เดินทางข้ามหุบเขายะทะเทะแล้วเยือนจังหวัดอะคิตะเป็นครั้งแรกน้ำดังกล่าวได้ถูกนำมาใช้ปรุงอาหารและนำมาดื่มที่สถานที่พักรับประทานอาหารจึงเป็นที่มาของชื่อ จุดที่น้ำผุดออกมาได้ถูกจารึกไว้ว่า “โกะจุนโคโกะเซ็นซุย” ที่เมืองฮิโระซะกิและเมืองโอวะนิก็มีน้ำพุที่จักรพรรดิ์ทรงใช้ชงชาจึงคาดกันว่าแหล่งน้ำทั้งสามได้ถูกใช้ในช่วงหลายวันขณะประทับ อุณหภูมิขิงน้ำตลอดทั้งปีอยู่ที่ประมาณ 12℃ ซึ่งเป็นพื้นที่ๆนักเดินทางใช้เป็นจุดแวะพักตั้งแต่สมัยโบราณหรือผู้อยู่อาศัยใช้ทานซึ่งบรรยากาศบริเวณโดยรอบล้อมไปด้วยต้นคะชึระและต้นสนญี่ปุ่นทำให้ช่วงหน้าร้อนก็อากาศเย็นร่มรื่น

시라사와 고젠스이
 오다테시 북부의 시라자와는 옛 우슈 가도의 역참 마을이었습니다. 1881년 9월 11일, 메이지 천황이 도호쿠 지방을 순행하며 야타테 고개를 넘어 처음으로 아키타 현에 들어왔을 때, 점심 행궁이 되어 점심 식사의 음식이나 마실 것을 헌상했기에 이런 이름이 붙게 되었습니다. 지하수가 나오는 곳에는 「천황 순행 시 드신 물」이라 새겨져 있습니다. 히로사키시와 오와니마치에도 폐하가 차를 끓여 드신 오차노미즈라는 샘이 있으며, 이 3곳의 물을 며칠 사이에 사용했을 것으로 보입니다. 수온은 1년 내내 12℃ 정도. 예로부터 여행객의 휴식이나 주민 생활에 이용되었으며 계수나무나 삼나무, 상수리나무 등의 수목에 둘러싸인 정원 같은 모습의 일대에는 한여름에도 별천지 같은 분위기가 감돕니다.

日本語詳細
№21 白沢(しらさわ)御膳(ごぜん)水(すい)

所在地 大館市白沢字白沢地内 白沢本村から西に約400mほど離れた矢立小学校の校庭下の谷間に冷泉が涌き出ている。この泉を中心に老樹珍木が多く繁り、旅人が木陰で水をおいしく飲んで休憩した様子が想像される。水温は夏でも10℃を昇ることはなく(冬でも大差なし)、一時は霊域視されたが、清水は冷たく甘味であるため付近の住民が喜んで常用した。 
 明治14年(1881)9月11日、明治天皇東北巡幸の途中、天皇は白沢26番地笹島久蔵邸内のお昼行在所(あんざいしょ 天皇の仮のすまい)にお着きになり、この水が昼食と飲料水に供されたので御膳水、または御前水といわれた。そのとき、村の剛力者二人がこれを汲み取り厨(くりや 台所)に運んでいる。
 その後、泉のあたりが荒れたので、白沢の有志が石造りにして面目を新たにした。また、昭和6年(1931)5月に小学校長滝儀太郎の進言により、白沢部落賛同の上、共同して水溜(みずだめ)、樋(とい)と堰をコンクリート造りにして永久的なものにした。昭和9年(1934)11月1日、白沢の行在所とともに御膳水が文部省から史蹟として指定されたが、昭和23年(1948)6月29日に解除された。
 この泉の水量が豊富なので、長い年月にわたり諸学校でくみ上げて愛用していたが、その後中学校が設置され、更に保育所が開設されると、使用量が激増した。そのためこの水源を利用し動力揚水井戸として各所に水道の設備を施し昭和29年(1954)6月から利用し長い間珍重された。その後水道が普及し、今ではただ静かに流れるままになっている。
 小学校、中学校の校歌にも歌われる史蹟の泉である御膳水は桂・楓・栃などの樹木
に囲まれ、四季を通じて水量が豊富である。庭園風の一帯は真夏でも別天地の風情が漂う。
 白沢の人たちや矢立小学校の児童が手入れや清掃を続けてきた歴史のある御膳水には、笹島久蔵の顕彰碑と久蔵の長男で後の矢立小学校開校に尽力し若くして亡くなった市蔵を惜しみ、狩野亨吉の題字による「濟厥美」の碑が残っている。「その美をなす」と読み、「子孫がよく父祖の業を受けついで善いことを出かす」という意味だという。白沢(しらさわ)御膳(ごぜん)水(すい)